さんぽみちのちしつColumn
第23話 ~河の流れと共に~
2022年03月10日(木)
図は新庄市本合海付近上空から北方を俯瞰したイメージである。北上する最上川は南下してきた鮭川を合わせて西に向きを変え、最上峡を経て庄内平野へと向かっている。当地の最上川は西へ東への大蛇行をくり返しており、陸地とそれを隔てる河道がまるで指と指とを組み交わすように折り重なっている。また、合流する鮭川も不規則な曲流を繰り返しくるんくるんと弧を描く。千鳥足ならぬ千鳥川、いや名付けて最上千曲(ちくま)川(がわ)か。でもなぜ広くもない平野部でこんな迷走河川ができたのだろう?
河川の流路はある程度勾配があると直進性が強いが、勾配が緩く流れが穏やかになるほど蛇行・曲流し易くなる。河川の流れは氾濫によって自然堤防と言われる堆積物の高まりを生じるが、次の洪水時にはより低い流路を探して破堤し、前回の自然堤防を避けるように新たな流れを作る。つまり、平野部の河川は、人為的なコントロールがない限り氾濫の度に絶えず変遷(へんせん)してゆくものなのである。
本合海付近は新庄盆地の西端で、標高的に内陸盆地の最も低い地点でもある。大蔵村の主部から当地を経て、鮭川村・真室川町にかけての低地帯は断層によって落ち込んだ「地溝(ちこう)」である。これに対し下流の最上峡は出羽山地に含まれ、現在も僅かずつ地盤が隆起し続けている。最上峡は地盤の隆起と河川の浸食のせめぎ合いで川底の下刻が進まない。出口側の高さが変わらないため上流側の本合海周辺には内陸全域から集まった土砂が貯留する事になり、また最上峡で河道が狭窄(きょうさく)して水流が緩やかとなる。その結果、この地区に真っ平らな埋積平野が形成され、右往左往する河川の曲流蛇行帯ができあがったのである。
この地は地形上の特性より洪水の被害に遭いやすい。一昨年7月に県内を襲った集中豪雨の際も、平野部の多くが水に浸かり、特に水稲は壊滅的な被害を受けた。古(いにしえ)より同様の水害を幾度となく受けてきた暗い歴史を持つが、それでも人々は集落を受け継ぎ田畑を護り育ててきた。水害に遭いやすい河川沿いの土地と言うのは、一方で肥沃で実り豊かな土であることの左証(さしょう)でもある。住民は河の恵みを受けつつ、力を合わせて堤防を築き河と共に生きることを選んだのである。
本合海はかつて舟運(しゅううん)で栄えた川港の一つであり、あの芭蕉と曽良もここから乗船し庄内へと向かった。当時、川舟が庄内と内陸を行き来する唯一の交通手段であったが一般人が気軽に利用できるようなものでは無く、乗船の手配にも苦労したと伝えられている。日本全国どこへでも気の赴くまま出かけられる今のご時世を芭蕉が見たらどう思うのか。五月雨や・・などと詠む前に行き過ぎてしまう。案外、苦労して旅をした昔の方が良いというのやも知れぬ。
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