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第26話 ~日本のチベットとよばれた村~

2022年06月10日(金) 

 西川町の西部、朝日山地の山懐に抱(いだ)かれるように大井沢地区がある。数年前、僻地で活躍した女医の生涯を綴った「いしゃ先生」と言う映画が公開されたが、その舞台となった村落でもある。付近には大朝日岳を源とする寒河江川が北流し、その左岸側に田畑が開けぽつんぽつんと集落が点在している。集落の背後は緩やかな丘陵地が連なるが、西側で次第に険しくなり遠く朝日山地の稜線へと続く。対する右岸側は小高い起伏山地が並び、川岸から直ぐに単勾配の急な斜面が山頂まで駆け上がる。

 

 大井沢地区の寒河江川は南北に流路が直線状に延びるが、これは古い大規模な断層と考えられている。福島県の南東部、棚倉町を通り北北西方向に延びる「棚倉構造線」と呼ばれる大断層群がある。関東以北の北東日本は地質的な特徴より大きく5つの地帯に分けられ、山形県のほぼ全域は阿武隈帯と云う地質帯に含まれている。その西隣には北関東から新潟を含む足尾帯が接し、その境界を成すのがこの棚倉構造線だとされており、大井沢の断層はこの棚倉構造線の延長だとする説がある。ところがこの構造線、福島県内ではだいたいこの辺を通っているのだろうなぁ、という位置が分かっているのだが山形県に入ると途端にあやふやとなる。朝日山地を挟んで幾つもの断層に枝分かれし、メインとなるルートが特定できてない。だが少なくとも大井沢の断層は県内でも有数の規模であり、北上して月山火山に阻(はば)まれるが、それを乗り越えた延長上には庄内町を流れる立谷沢川に再びまみえる。この立谷沢川も南北に延びる直線状の河川で断層谷とされている。つまり、大井沢の断層とこの立谷沢川の断層は本来、連続する一つの構造線であり、後から月山が噴火して火山ができたのだ。これらの断層が最も活動したのは新第三紀の中期、今から一千万年ほども前の事であり、月山が噴火して山になったのが数十万年前。月山などごくごく若造のニキビみたいなものに過ぎない。また大昔、大井沢の谷底は細長い湖(大井沢湖)だった時代があり、集落周辺のなだらかな地形を作る堆積岩類がその時に生成したと考えられている。

 

 かつての大井沢村は近郷の商業地として今の大江町左沢(あてらざわ)と結びつきが強かった。左沢までの道のりは約20㎞。距離もさることながら途中には大井沢峠のきつい山越えがある。山道での荷物の運搬は人肩で担ぐか馬に括り付けるしかなかった。昭和初期の地形図には大井沢の主部から今の大江町柳川まで、全長約6㎞もの索道(ロープウエイ)の存在が記されていた。この索道、詳細な資料が一切残されていないが、おそらくは山菜など農産物の出荷や左沢で購入した品物を山越えするために設置されたものだろう。だがもしかしたら例年3mもの積雪で外界と閉ざされる冬季、人命を維持するためのそれこそこれが「最後の頼みの綱」であったのかも知れない。

 

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