さんぽみちのちしつColumn

第34話 ~深窓の令嬢~

2023年04月10日(月) 

 5月上旬頃、わさび(山葵)は山間の沢沿いで小さな白い花をつける。いくらも日が射さない林の中、他に先駆けて艶やかなハート形の葉を精一杯広げ、僅かばかりの光を捕らえようとしている。花茎は中心に白い総状花を付けながら伸長し、小さな鞘(さや)に種を実らせる。もうしばらくすると他の草木に辺りが覆われ、わさびはすっかり藪に隠れてしまう。彼らにとって初夏前までの僅かな時間がその年の営みのすべてなのである。


 旧温海町の山の中、急傾斜対策の地質調査のためにとある小さな集落に通った。山間の狭い谷底平野に十軒余の民家が軒を並べており、集落に接する崖に急傾斜対策を施す計画であった。その斜面に分け入って驚いた。草むらの中に貴重な天然わさびがそれこそ雑草の如く生えているではないか。わさびは冷涼な環境を好み粘土質や有機質の土壌を嫌い、直射日光と乾燥も苦手である。カビなどの菌類にも弱く、他の草々と混じって繁茂するなどあり得ない事なのだ。絶対に適さないはずの日なたの硬く乾いた道路敷に、逞しく育つ「ど根性わさび」の大株を見つけた時には我が目を疑った。病弱な深窓のご令嬢のはずが、いつしか豪快な肝っ玉母ちゃんに化けたかのようなそんな気がした。

 ところがこの自生わさび、少し離れた別の谷筋には全く生えて無い。周囲の環境は集落周辺と似ているのだがわさびだけが唯の一本もない。地上の環境が同じならば地下が違うのか。部落周辺の地質は花崗岩、地表部はその風化土砂のマサ土でサラッとした白い砂だ。ああそうかマサ土か。伊豆や安曇野の清水が流れるわさび田のイメージが強くて思い違いをしていたようだ。彼らは殆ど肥料(栄養)分は要らない。僅かな光と適度な水分、酸素の豊富な土があればそれで良い。マサ土の元となる花崗岩はその大半が石英や長石などの白い粒でできており植物に吸収される養分を殆ど含んでいない。有色鉱物が少ないため風化に要する酸素の消費が少なく、通気性が良い。これに適度な雨でも降ってくれれば、わさびの好適な条件に近くなる。湧水の有る無しは絶対条件では無い。むしろ、余計な養分が増え酸素を浪費するためカナケ水なら無い方が良い。県内ではあまりマサ土地盤は無いが、花崗岩地帯の福島月舘町(阿武隈山地)や岩手の北上山地では平地の畑でわさび栽培が行われている。少し工夫すれば我々の家庭菜園やプランターでもわさび栽培ができそうだ。

 我が家の畑の土手には、県内や福島各地から集めたわさびが毎年白い花をつける。その多くは山菜の直売所などで買い求め、根のしっかりした株を選んで植え付けたものだ。すべての自然環境を整えてやるのは難しいが、日照さえ気をつければそれなりには育ってくれる。若い花茎だけを摘んで軽く湯通しし密閉しておけば、ツンと爽やかな香気が生まれる。食卓に春の訪れを感じる、我が家のささやかな贅沢である。

 

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