さんぽみちのちしつColumn
第38話 ~寒河江川慕情~
2023年08月10日(木)
寒河江市の中心市街地に隣接した長岡山は、東北最大級のつつじ園や700本もの桜が咲き誇る市民の憩いと集いの場として、また観光スポットとして整備された総合公園でもある。その長岡山と北方の慈恩寺・醍醐(だいご)地区との間を寒河江川が横切り、そのまま河北町との境を辿(たど)るように東流し、山形盆地中央を北上する最上川へと向かっている。
河川が平野部に開口した部分に広がる半円形の堆積地を扇状地とよび、扇状地を含む平地が河川によって浸食された後、残った台地の部分を段丘という。現在、長岡山の西側に広がる寒河江中央工業団地周辺から寒河江市街地にかけてが「寒河江段丘」に、また、寒河江川周辺とその北側(河北町側)が「寒河江川扇状地」に分類されている。おそらく数万年前の寒河江川は図の①のように、長岡山の西側、平野山との間を流れていたと見られる。であれば、現在の長岡山から北側の慈恩寺間には、堤防となる丘陵地の尾根が続いていたことになる。そして中央工業団地付近から下流側に扇状地を造り、周辺に堅固な地盤と豊富な地下水を包蔵する堆積層をもたらしたのである。
あるとき、この細長い尾根(堤防)の一部が決壊し、図の②のように、河川が東側へと流れを変えた。尾根が途切れた要因に、地質と断層が関わっていたのは間違いない。この界隈は山形盆地の西側を限る山形盆地断層帯と、長井小盆地より北上する断層帯の端部が交わる地区にあたり、縦横無尽に断層が発達している。おそらくそれらの断層の1つが尾根を寸断する「切れ目」を入れたのだろう。また、現在の長岡山の一部には、著しく固結が低く粒子の粗い砂岩が分布する。断層により切れ目の入った部分が、このように脆弱な岩であったならば、流水によりたちまち侵食が進むことは想像に難くない。こうして丘陵を乗り越えた寒河江川は、かつて湖沼や湿地帯の広がっていたであろう未開の地を新たな流域として、洋々と流れ出していったのだ。その結果、長岡山は孤立した丘陵地へと姿を変え、そして旧来の扇状地は最上川の氾濫流により南側から浸食を受け、加えて活断層による変位を被(こうむ)って段丘となった。こうして現在の寒河江市街地周辺の地形の原型が出来上がったのである。
寒河江市周辺は、河川の変遷のほか断層の動きにより地形や地質の変化が非常に大きい。岩盤である長岡山と平野山に挟まれた中央工業団地には、実に200mにも及ぶ河成砂利層が堆積していること、市街地の真下に山形盆地と出羽山地の境となる断層崖が埋もれていることなど、地質技術者として興味が尽きない。
1300年の歴史を刻む本山慈恩寺の山の頂に、山王台公園なる見晴台がある。寒河江地区を含めた山形盆地南部一帯が見渡せる素晴らしい眺望に、太古の寒河江川の流れと、昔日の貴女の面影が見えた、そんな気がした。~♪寒河江がわあ♪~
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