2022 2月 10のアーカイブ

SPARK Vol.36

まだまだ雪との闘いが続く山形ですが、2月に入りスギ花粉情報や桜の開花予想が発表され冬の終わりが見えてきていますね😊

花粉症を考えると春が来てほしいような来てほしくないような複雑な心境ですwobbly.gif

さて、SPARK Vol.36が発行されました。

今回は、”さんぽみちのちしつ”が連載2周年の特別号となっておりますshine.gif

普段我が家でお世話になっている西蔵王公園のある「西蔵王地区」について載っております。

是非ご覧ください!

 

さんぽみちのちしつ2周年特別号はこちらから

カテゴリー:SPARK

第22話 ~お気軽な高原~ 連載2周年特別号

 

 山形市の東側、テレビ局の送信所が建ち並ぶ高台周辺を西蔵王地区と言う。蔵王連山の西端、瀧山より続く緩やかな斜面が、送信所の背後(神尾地区)で一旦平らになって、その後再び小起伏をくり返しながら桜田地区(東北芸術工科大学付近)へと下ってゆく。この周辺は「西蔵王高原」とも呼ばれ、なだらかな斜面に放牧場や大根・キャベツ・ソバなどの畑が点在し、市街地にほど近いとは思えぬのどかな山里風景が広がっている。神尾地区と山形市街地の標高差は約400m。市街地の直ぐ側で、また標高もそれ程高くない事より「高原」と名のるにはちとおこがましい気もするが、瀧山の偉容を仰ぎゴミゴミした市街地が直接見えない地形より、お気軽に天空人の雰囲気を楽しむことができる。

 

 さて仰ぎ見る瀧山であるが、今から約100万年前、蔵王連山としては最も初期に活動したとされる火山である。付近は当時、「千歳山」と同じようななトンガリ小山がポコポコと点在する緩やかな高台であったようだ。その一角から発した瀧山は噴火をくり返し、周辺にその噴出物ををまき散らしながら次第に標高を高めていった。年代はぐっと下り約7万年前、あの蔵王の泥流(酢川砕屑流)が発生した。これは今の蔵王温泉街付近を火口とする噴火活動により、大量の火山噴出物が山肌を一気に駆け下ったもので、山腹~山麓部を最大100m余もの堆積物が覆い尽くし、なだらかな傾斜地形を造った。その先端は須川をまたいで反対側の久保手地区まで達しており、現在の蔵王みはらしの丘一帯は、砕屑流の末端台地である。ここで少し学術的な説明を加えると、本来の「泥流」は、火山熱で融けた氷雪等により火山噴出物が土石流状になってドロドロと流れ下るものとされている。しかし、これまで「蔵王の泥流」と呼んでいた地形や地質と泥流の特性が一致しないため、現在ではこれを「酢川砕屑流」とか「岩砕流」とかと表記されることが多い。イメージ的には雲仙普賢岳のあの火砕流(火砕サージ)と同じような現象であったようだ。

 

 西蔵王地区も火山砕屑流(火砕流)によって形成されたものだ。但し、酢川砕屑流(これまで蔵王の泥流と呼んでいたもの)とは全くの別でこれを「神尾砕屑流」と言う。これは酢川砕屑流より多少古く、瀧山の西壁を火口としたものだ。神尾砕屑流は酢川砕屑流よりはずっと小規模であったが、それゆえに活動の全体を見わたすことができ、その特徴を掴みやすい。
・西蔵王の特徴その1— 土砂は斜面を駆け上がった?
西蔵王地区の中心部「神尾地区」は、集落中心部よりも市街地側のフチ(TV送信所付近)の方が、標高的に高く、全体として鍋底のような緩やかな窪地となっている。火山砕屑流(火砕サージ)は猛スピードで山肌を下る。その際、大きな岩塊や小さな岩山などがあると、土砂はそれを乗り越えようとし、それを核として砕屑物の高まりができる事がある。こうして出来た小山は砕屑流斜面のただ中に、上流から移動してきたように見える事から、これを流山(ながれやま)という。TV送信所付近の高まりも流山の一種だろう。であれば、その地下に核となる岩塊や岩山が隠れているはずだ。おそらく、千歳山と同時期の岩脈(小さな火山性の岩山)が潜んでおり、それを砕屑流が乗り越えようとして盛り上がったものであろうと推測する。

 

・西蔵王の特徴その2— 神尾地区は天空の湖だった?
特徴の二つ目は、神尾地区全体がかつて大きな湖(仮称・神尾湖)の時代があった事である。神尾集落付近は火砕サージが通り過ぎて浅い窪地となり、加えて北部(今の土坂集落付近)に流れ込んだ土砂で自然の土堤ができ、堰き止められて水が溜まったようだ。神尾集落付近の地層には、湿地性の堆積物が何層も残されておりこの一帯がかつて湖沼の底であった事を物語っている。後世、堤体となっていた土堤が決壊し龍山川として市内方向に流れ出し、今の地形(湖の底)が現れたのだろう。逆に言えば湖としての環境が長かったため、川で削られたものとは異なるなだらかな地形が残されたとも言える。

 

・西蔵王の特徴その3— 西蔵王公園は巨大な地すべりのあと
TV送信所や展望台のある地区の更に西側、落差で約80mほど下がった地区に西蔵王公園が広がっている。緩やかに広がる森林を切り開いた広大な土地に各種遊具やアスレチック、バーベキュー広場、キャンプ場などが整備されており、子供連れの若い家族に人気が高い。
この西蔵王公園は、TV送信所や展望台のある高台から急斜面で下った先の準平原で、まるでTV送信所のある高さからストンと滑り落ちたような雰囲気がある。TV送信所のある高台はゆったりと弧を描く崖のフチのような地形であり、その公園側(市街地側)が急斜面となって落ち込んでいる。落ち込んだ地盤面はやや凸凹のある緩斜面となり、多くの湖沼が発達した。地形的な特徴よりこれらが典型的な地すべり上部の滑落崖と、頭部の崩壊地形の組み合わせである事が分かる。

 

実は神尾砕屑流の発生直後、今のTV送信所の高台はもっと西側まで延びていたようだ。神尾砕屑流は猛スピードで斜面を駆け上がり、流山の障害物を乗り越えてあらぬ彼方へ砕屑物を放出した。その後、成長しすぎた砕屑物の丘は流山の核を境にして大規模な地すべり崩壊を生じたものと考えられる。

 

・西蔵王の特徴その4西蔵王の南側に湖沼が集まっているワケ

西蔵王地区には、羽竜沼・三本木沼・古竜沼など大小十数個の湖沼があり、そのほか西蔵王公園内にも大小の沼が散在している。それらの多くは西蔵王の南側(今の山形市野草園の付近)に集まっている。なぜこの一角に湖沼が密集しているのだろう?。

 

神尾砕屑流の本体は、今の展望台やTV送信所付近を中心として流れ下ったが、猛スピードで駆け抜けたため地表部は平滑でなだらかな地形となった。これに対し湖沼の偏在する南側地域は砕屑物の供給も少なく、速度もそれ程速くなかったようだ。活動としては火山泥流や大規模な土砂崩れに近い性質であったようで、土砂がドロドロと流れ出して広がったような状態となり、堆積面に凸凹が生じた。それらの凹んだ部分に水が溜まって、数多くの湖沼が生まれたものと見られる。

 

 西蔵王全体としては、かつての神尾湖は砕屑流がえぐった跡の大っきな湖、西蔵王の南部には泥流で流れ出した凸凹面に湖沼が発達し、西蔵王公園周辺にも地すべりで割れた窪みに小っちゃな沼が点々と生まれた。山の上の湖沼は出来かたにも一つ一つの物語りがある。

 

 西蔵王高原の生い立ちや特徴についてまとめてみた。地学的な視点をもって西蔵王を眺めると漠然と見ていた風景がまた違った意味合いを持ってくる。今回、神尾砕屑流に関して掘り下げてみたが、噴火した78万年前など地球の歴史からしたらつい昨日のようなものだ。活火山である蔵王はこれからも変貌を続けてゆくことだろう。だが火山の成長を見守るには人間の一生などなんと短いことか。

 

 ・後書きその1

蔵王火山の研究では、その権威として大場与志男・伴雅雄の両博士がおられる。弊社でも火山噴出物のトレンチ調査などでお世話になっており、蔵王に関して素人が迂闊なことは言えない。だが今回、本稿を書くにあたり蔵王の関係文献を読み漁ったところ、西蔵王関連の資料が殆ど世に出てない事に気付いた。幸い?にして私自身は両博士と直接の面識は無い。当稿は、一般の方が身近な地形や地質に興味を持って頂けるように、気軽に読める取っつきやすさを身上としている。なので説明が不足していたり正確で無い(裏付けが無い)ことは重々承知している。だが怪しい推論も言った者勝ちと云う事で。万が一、御大がこの拙稿を目にすることがあっても、笑って看過して貰いたいものである。(弱気・・・)

 

・後書き-その2
 TV送信所のある高台の北端に、かなり大きな異形(いぎょう)のコンクリート構造物がある。何でも1980年頃、とある男性が私財を投げうって建設に着手したとされる「仏舎利塔」とのこと。仏舎利塔とはお釈迦様の遺骨を納める仏塔とされ、まぁ、平たく言えば世の平和を願った仏教式の大っきなモニュメントである。

 

 男性は、その建設を見守りつつ近くに庵(いおり)を結んで読経の日々を過ごしておられたが、志半ばで亡くなられたようだ。くだんの仏舎利塔は建設途中でうち捨てられ今では廃墟のようになっているが、辺りの草刈や最小限の手入れは今も継続されている。いわゆる遺構では無く、建設中断中と言ったところか。永井設計の社長様もドローンでの鮮明な空撮動画をYouTubeに上げておられる。おどろおどろしい雰囲気と故人の執念のようなものを感じられ、陽光きらめく西蔵王のまた違った一面を知ることが出来る。興味のある方は“西蔵王”“仏舎利塔”で検索してみてほしい。

 

・筆者のつぶやき
 本稿の原案はさんぽみちの特集号向けに昨年正月!に執筆したものだ。本来、この駄文が特別編になるはずだったが、「面白くない」のでボツネタとしてお蔵入りした。で急遽、一般ウケしやすそうな「平塩の塩」を書いて凌(しの)いだのである。本稿は中身がもともと火山学もどきであるため、内容が固い。正確に伝えようとすればするほど文章が混み入り、学術書のようになってしまうのだ。私自身、正月の酒を飲みながらあれこれ思量推敲し、酒と文章の双方で酩酊しますます混迷の度を深めた。
当コラムは文章の遊びや取っ付きやすさを優先し、要点を端折る・説明をすっ飛ばす・憶測をさも見てきたように語る・都合が悪いことには触れないなどの工夫(暴走とも言う)を駆使して少しは読みやすくしたが、私の筆力ではこれが限界である。あきらめずに読み解いてくれるとうれしいな。(最後は丸投げ!)

カテゴリー:さんぽみちのちしつ

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